会社沿革
明治20年(1887年) | 堀内伊三郎、東京市神田区富山町で、宮中侍医浅田宗伯処方の「御薬さらし水飴」を創製発売 |
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明治22年(1889年) | 東京市神田区鍋町に店舗を設ける |
明治30年(1897年) | 東京市神田区鍛冶町(現所在地)に店舗および工場を移転 |
大正4年(1915年) | 「固形浅田飴(キャラメル型)」創製発売 |
大正15年(1926年) | 「固形浅田飴(現碁石型)」創製発売 |
昭和5年(1930年) | 二代目 堀内伊太郎襲名 |
昭和19年(1944年) | 企業整備令により東都製薬株式会社へ改組、設立 |
昭和22年(1947年) | 株式会社堀内伊太郎商店設立(本社:千代田区、工場:中野区) |
昭和24年(1949年) | 工場を東京都豊島区椎名町(現南長崎)に移設し目白工場とする(昭和49年廃止) |
昭和27年(1952年) | 各種一般用医薬品の製造を開始 |
昭和35年(1960年) | 三代目堀内伊太郎 社長に就任 |
昭和37年(1962年) | 「固形浅田飴クール」発売 |
昭和38年(1963年) | 現本社ビル完成 |
昭和39年(1964年) | 東京都東村山市久米川町に村山工場を新設、第一期工場完成 |
昭和42年(1967年) | 大阪連絡所を大阪市東区に開設 |
昭和43年(1968年) | 医療用医薬品の製造を開始 |
昭和44年(1969年) | 村山工場第三期工事完成 |
昭和47年(1972年) | 堀内恵美子 社長に就任 |
昭和48年(1973年) | ダイエット甘味料「シュガーカット」の発売を開始 |
昭和49年(1974年) | 村山工場排水処理施設完成 |
昭和52年(1977年) | 札幌出張所を札幌市中央区に、福岡出張所を福岡市博多区に開設し、大阪出張所を含め、計3出張所となる |
昭和55年(1980年) | 村山工場第四工場完成 |
昭和58年(1983年) | 本社分室(豊島区南長崎)を新設し、営業部、開発部移転 |
昭和60年(1985年) | 配送センターを埼玉県入間市に新設移転 |
昭和61年(1986年) | 「固形浅田飴パッション」発売 |
昭和62年(1987年) | 創業100周年 |
平成元年(1989年) | 3出張所を営業所に名称変更 |
平成3年(1991年) | 堀内滋彦 社長に就任 |
平成6年(1994年) | 株式会社浅田飴に社名変更 |
平成10年(1998年) | 「浅田飴せきどめ」発売 |
平成11年(1999年) | 村山工場製剤棟完成 |
平成15年(2003年) | 堀内邦彦 社長に就任 |
平成27年(2015年) | 「トラベロップQQ」「浅田飴こどもせきどめ」発売 |
平成29年(2017年) | 「固形浅田飴」が「グッドデザイン ロングライフデザイン賞」受賞 |
平成30年(2018年) | さだまさし コンサートグッズ「あ、さだ飴」発売 Jリーグ 大分トリニータとのオフィシャルパートナー契約を締結 |
令和元年(2019年) | Bリーグ 千葉ジェッツふなばしとのオフィシャルパートナー契約を締結 |
令和2年(2020年) | 「浅田飴糖衣」発売 |
令和3年(2021年) | Jリーグ FC町田ゼルビアとのオフィシャルパートナー契約を締結 |