昭和~平成、令和 時代に合わせた製品と広告
昭和35年(1960年) 三代目堀内伊太郎、社長に就任 |
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昭和37年(1962年) 「固形浅田飴クール」発売 |
昭和38年(1963年) 現本社ビル完成 |
昭和39年(1964年) 東京都東村山市久米川町に村山工場を新設、第一期工場完成 配送センター併設 |
昭和42年(1967年) 大阪連絡所を大阪市東区に開設 |
昭和43年(1968年) 医療用医薬品の製造を開始 |
昭和47年(1972年) 堀内恵美子、社長に就任 |
昭和48年(1973年) ダイエット甘味料の発売を開始 |
昭和52年(1977年) 札幌出張所を札幌市中央区に、福岡出張所を福岡市博多区に開設 |
昭和58年(1983年) 本社分室(豊島区南長崎)を新設し、営業部、開発部移転 |
昭和60年(1985年) 配送センターを埼玉県入間市に新設移転 |
昭和61年(1986年) 「固形浅田飴パッション」発売 |
昭和62年(1987年) 創業100周年 |
平成元年(1989年) 3出張所を営業所に名称変更 |
平成3年(1991年) 堀内滋彦 社長に就任 |
平成6年(1994年) 株式会社浅田飴に社名変更 |
平成10年(1998年) 「浅田飴せきどめ」発売 |
平成11年(1999年) 村山工場製剤棟完成 |
平成15年(2003年) 堀内邦彦 社長に就任 固形浅田飴のシュガーレス化に成功 |
平成27年(2015年) 「トラベロップQQ」「浅田飴こどもせきどめ」発売 |
平成29年(2017年) 創業130周年 固形浅田飴がグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞 |
平成30年(2018年) さだまさしコンサートグッズ「あ、さだ飴」発売 Jリーグ 大分トリニータとのオフィシャルパートナー契約を締結 |
令和元年(2019年) Bリーグ 千葉ジェッツふなばしとのオフィシャルパートナー契約を締結 |
令和2年(2020年) 「浅田飴糖衣」発売 |
令和3年(2021年) Jリーグ FC町田ゼルビアとのオフィシャルパートナー契約を締結 |
三代目堀内伊太郎 |
「せき・こえ・のどに浅田飴」の誕生昭和35年(1960年)、三代目堀内伊太郎が社長に就任。「固形浅田飴」に現在のデザインの基となる「日輪デザイン」を採用します。 |
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シュガーカット |
シュガーカットの発売人々が豊かさや便利さを求めはじめたこの頃、日本人の食生活も大きく変わりはじめ、ハンバーガーチェーンやファミリーレストランなどに代表されるファストフード店が登場します。 |
固形浅田飴パッション |
製品ラインナップの拡充昭和61年(1986年)、より刺激的でさわやかさを求めた製品として、南国のパッションフルーツの味と香りにメントールが強調された「固形浅田飴パッション」を追加し、浅田飴は3つの味になりました。 ドラッグストアの出店やチェーン化が進み、食品(お菓子)ののど飴が増え、のど飴の嗜好や市場環境の変化が激しさを増す中、平成6年(1994)には医薬品のドロップ剤メーカーとしてCIを実施し、「株式会社浅田飴」に改称しました。 平成10年(1998年)には、これまでの生薬処方の「固形浅田飴」シリーズに加えて、気管支拡張作用のあるメチルエフェドリン塩酸塩を含む3種の有効成分(洋薬)を配合し、つらいせきや喘鳴に効く「浅田飴せきどめ」(オレンジ、レモン)を発売。「せき・こえ・のど」を守る医薬品のドロップ剤メーカーとして、効能効果や味のバラエティー、包装形態のラインナップを拡充していきます。 |
固形浅田飴クールS |
浅田飴のシュガーレス化平成15年(2003年)には現社長の堀内邦彦が就任、「シュガーレス固形浅田飴」を発売しました。「人々の健康にもっと役立つためのシュガーレス化」は邦彦の長年のテーマであり、「シュガーレス固形浅田飴」は医薬品メーカー・浅田飴としての信念をかたちにしたものでした。 |
トラベロップQQ |
良薬にして口に甘し平成27年(2015年)にはこれまでのドロップ剤の技術を生かし、乗り物酔い薬「トラベロップQQ」、小児用鎮咳去痰薬「浅田飴こどもせきどめ」を発売。医薬品として初めて、パッケージにドラえもんを起用し、お薬が苦手なお子さまにも安心して服用していただける製品を生み出しました。 |