浅田飴の歴史
良薬にして口に甘し
浅田飴が初めてお目見えしたのは明治20年(1887年)でした。
その名も「御薬(おんくすり)さらし水飴」といい、
江戸幕府の御典医であった漢方医学の大家、
浅田宗伯先生の処方を譲り受けた堀内伊三郎が
「たん、せき一切、肺病の持薬、ひきかぜ、よわき人、老人の滋養薬」
として売り出したのが始まりです。
キキョウ、マオウ、カッコンなどの生薬を大きな鍋でじっくり煮出し、
時間と手間をかけて丹念に煎じ詰め、水飴に練り込んでいく、
その製薬工程は地道で誠実そのものです。
明治22年(1889年)、その「御薬さらし水飴」を
「浅田飴」と改称したのが伊三郎の長男・伊太郎でした。そして、
「良薬にして口に甘し」というお馴染みのキャッチコピーとともに、
ロングセラーとなる「浅田飴」の歴史が始まったのです。
ころんと飴を出すモダンなブリキ缶や、歌舞伎絵を使った色鮮やかな広告、碁石形の美しいドロップ剤。
時代とともに剤形やパッケージの形状は変わりましたが、
浅田飴には決して変わらない、一つのこだわりがあります。
「良薬にして口に甘し」
薬としての確かな効きめを、服用しやすく。
健康な声とのどで、楽しく語らい、歌い、笑う。
この言葉には、そんな想いが込められています。
人々の健康に資するため、生薬処方の医薬品としての本質は変えない。
それと同時に、暮らしを笑顔にする、親しみやすさを大切にしたい。
その想いとともに浅田飴が歩んできた道を、
あなたも一緒に旅してみませんか。